idea

原石

身の回りに石が増えてきた。
隣で愛でる相方がいるからだけれど、その引力に引き寄せられつつある。
これからは、直観のとき。
研ぎ澄まし、おもむくままに本気で遊ぼう。
この先も輝いている。

Full moon

月はキレイなのか。
それとも観るから、月はキレイなのか。

この違いをずっと巡らせている。

アイマイ

なぜ、こうも急いで白黒打つ必要があるのか。
ただ、寛容であれば良いのにと願う。
大切なものを守ために。

昼の創作活動

昼食当番なので、毎日何かしら作っています。
今日は、うどん麺(基山パーキングエリアのうどん麺で美味しいんです。)が
冷蔵庫に残っていたので、生パスタ麺と見立てて
干し海老とトマトの生パスタにしました。

料理は想像力が必要で、結構楽しんで挑戦しています。
たまに失敗はあるけど、いつも分量など計らず感覚で。

干し海老を白ワインで戻しておく。
みじん切りしたニンニクと玉ねぎを、オリーブオイルで炒め始め、
しめじとトマト、そして戻した干し海老の順に鍋に加えてくたくたに炒めていく。
たっぷりのお湯にうどん麺を入れて、
時間が経ったら、一度ざるにあげて冷水で戻し、
具材の鍋に入れて、バターとオリーブオイルをかけて
温めながら混ぜ合わせまる。
最後にたっぷりの大葉をのせて出来上がり。

子どもが美味しいと言ったので成功です。

直観

今年の書き初め。酔いに任せて書いたので、ずいぶん滲んでしまいましたが
「直観」です。
激変した世界の新しい秩序の中では、接触をできる限り避けて、
バーチャルでのコミュニケーションが勢いづくことが想像できます。
頭ではそれに順応しようと考えますが、
心の方がどうも拒絶していたことを知らされた去年。
それでも、どんどん変わっていくので、その中で一番大切なことを言葉にしました。

これまで培ってきたものとは違うことにも、色々と試していきいたいと思います。
どうぞよろしくお願いします!

一緒に描いた娘の絵文字。こっちの方が直観かなぁ。

Portrait

肖像は、シャッターを押す者と、見つめる者との関係性で
映り方が変わる。面白い。
肖[ショウ]・像[ゾウ]どちらも、似せる・形どるという意味がある。
もっと面白い。

悠々

この夏、大きくガラリと変わった。
感覚はジリジリと日焼けのように残る。
これからどう運ばれていくのかを、ずっとずっと忙しく考えている。
発見はポツポツとあって、そこに日常が少しずつ栄養を与えてくれている。
ソーシャルネットワークを遠目に眺めていた。
それくらいの方が丁度良いのかもしれない。
遅れまいと手を搔くより、今は深く遠くを考えていたい。


游びの学校計画

新型コロナという世界的危機によって、これまで当たり前としていた前提が大きく崩れています。
得体が知れず、先の見えない不安が蔓延して、ネガティブな空気が頭の中に増殖しているみたい。
すでにコロナウィルスは、頭の中に棲みついていませんかぁ〜?
でも、この危機により生命維持装置のスイッチが入ったのか、
期せずして今までやりたかった全てのアイデアが、繋がってきました。
お金の依存を縮小させて、食料やエネルギーの自給率を上げることに、
これまで培ってきた創造性を掛け合わせていく。
デザイン×農業×キャンプ×教育という、「游びの学校計画」です。
これから経済が回らなくなっていく中、真の価値や関係性を見出せるような予感がしてます。
ちなみに、ここで言う游びは、レジャーではなく止まらない探求!

まずは、野宿に慣れること、畑を耕すことからスタート。
以前父が米作りをしようと購入した土地が、実はとてつもなく魅力的な場所だったのでした。
ナイスな先行投資、ありがとう!みんな、游ぼうねー!

先日のキャンプの様子を動画にしてみました。
動画作りは豚のアニメーション以来ですが、第二次動画制作ブームがきそうです。
それにしても、Youtubeは優秀な先生がたくさんいて有難いし、情報伝達の効率が良いので、
これからオンラインも積極的に取り組んでいきたい。


リビング付きテントは借り物ですが、素晴らしい。こっちにしとけばよかったと後悔したものの、
寝室が狭いので、シェルターを購入した方がいいかと考え中。


妻はスマホを使ってオンラインのトレーニングに参加。


この耕作放棄地とかした土地を、これから耕していきます。

書き初め二〇二〇

今年も例年通り元日に書き初めで、「学」と酔書しました。
去年から新しい取り組みで、自主講座を色々と開催しましたが、
各講座を経験することによって、新しいアイデアが色々と湧いてくるので、
今年は、数多く講座やワークショップを企画して、学びの場を作っていきたいと考えています。
これまでのブランディングの仕事は、より総合的な相談ができる窓口となり、
よき理解者になれるよう「聴く」を追求していきます。
税理士さんを交えた「なりわい診療」や、「デザイン診療」も充実させていきたいかなと。

激動の2020年、気が滅入ってしまいそうな政治に、テクノロジーという怪物に、学ぶこと満載。
物の見方を変えて、たくさんの気づきのタネを見つけたいと思います。

今年も、皆さんどうぞよろしくお願いします!

Go vote 7.12

3年前にも参院選についてイメージデザインを作り、その思いを綴りました

『Imagine』想像しよう。
明日から全く違う世界になることを。

このメッセージは、選挙によってどっちにも転ぶけど、好転することを願って作りましたが
あれから三年が経ち、世の中に良い変化は起きたでしょうか?
個人的には好景気なんてやってきてないし、(ウチだけですか?)
良い変化どころか、何というか…..という感覚です。

それでもなのか、だからこそなのか、
今回ほど政治は変えられると、未来に希望を感じる立候補者が複数いる選挙はないとワクワクしています。
政治で生活が確実に変わっているから、しっかりと希望の1票を投じることにします。
その波紋はいつか必ず自分に返ってくると信じているし、
選挙の結果に関わらず、すでに変わり始めたものを大切にしようと思う。

投票期間は21日、今度の日曜日まで、必ず選ぼう。
「選挙で、暮らしは変えられる」

「企業の暖簾づくり」との出会い

この言葉は、イングデザイン研究所の長勝也さんが作られたものです。
長さんとの出会いは今でも鮮明に覚えています。
勤めていたデザイン事務所で落ちこぼれて辞め、迷える根暗な20代半ば、
カレーの名店ヌワラエリヤで、目に止まった「企業の暖簾づくり」という一冊の本を読んでいると、
突然、女性の方(長さんの右腕の住本さん)から声をかけられて、「実はその本を書いた著者がそこにいます」と。
もう少し詳しく説明すると、その日は音楽会がヌワラエリアで開かていて、
待ち時間にその本を手にしたという事の成り行きでしたが、
長さんのことは、その前からプロデューサーの江副さんから聞いていて、
仕事の取り組みに対して非常に興味を持っていたので、この偶然の幸運に出会った興奮で、
その後の音楽が耳に入ってきませんでした。

長さんの取り組み方は画期的で、企業の顧問役として企業理念から社内の意識改革、
商品開発・広報戦略・社屋や店舗づくりなどのプロデュース業と、そこから派生するデザイン業務を全て行われ、
毎月の定例会議を行いながら、企業の暖簾づくり(ブランディング)をされていました。
月々のコンサルティング料とデザイン業務が発生した都度、デザイン料金請求する仕組みを、
1978年(40年前!)からされていたというのも驚きです。

イングデザイン研究所へは、デザインの道に迷うと訪ね沢山のお話を伺いました。
長さんは惜しげも無く手法や実例を披露され、
しまいにはデザイン料金や契約書の作り方まで教えてくださいました。
長さんにブランディング論を仰ぐという、贅沢で貴重な個別レッスンを受けて今があるのですが、
その感謝の気持ちを本人に伝えることは、もうできません。
遺された「企業の暖簾づくり」を自分なりに実践することで、一方通行ですが会話を続けています。

暖簾とは単なる目印ではなく、心の表れです。
表層から深層まで、相談者の良き理解者となって心(芯)を表していきたいと思います。

企業の暖簾づくり講座の案内

Plan/Edit

1月は企画と編集の月だ。
いくつものプランが頭の中でぐるぐると巡り巡っている。
思いを具現化(デザイン)する前の、最も大切な工程が、企画と編集にある。
始点(視点)が大事だし、ここをしっかり相談主と共有し、
信頼関係を築くことが、良い伝達表現に直結する。
何よりも、頭の中をかけ巡ったアイディアを、整理して紙に書き起こしていくことが
めちゃくちゃ楽しくワクワクする。
たかだか絵に描いた餅だけれど、この餅が、相談主の想像力を掻き立たせ、
未来を思い描く『鍵』となってくれる。

写真は、庭になったミカン。酸っぱすぎて苦手だけど、
他の誰かからすると宝だったりするし、ただ宝に気づいていないだけということもある。

書き初め2019

元日は実家に集 り、美味しい食事とお酒をたらふくいただき す。
そのあと、酔った勢いで書き初めを。
今年は『ま』にしてみ した。前崎の頭文字ではござい せんよ。
豊かさに必要なものは、『ま=余白』だと断言したい。
『ま』がないと、相手に対する接し方もギスギスしてし ったり、
仕事は忙しすぎたら、ミスや摩擦だって起こりやすくなる。
文章だって、こんなに、 ぬけ。

という感じで、遊び心と余白を大切にして、一年を豊かにしていく所存です!


『ま』のびした文字で失礼。

過程を楽しむ

定松さんの制作されたロゴデータを見せていただいく機会があって、
自分と全然アプローチが違うことに面白さを感じました。
普段は表に出ているところだけを見ているのですが、それまでの地道な作業はなかなか知り得ないものです。
AIがデザインをしていくであろう近い将来に対して、
この制作過程を魅せることに価値が生まれるかもしれません。産地の職人さんの現場を見るのが貴重なように。
「いやいや、もうそこは求めてませんよ」となるのかもしれないけど。

結果はどうであれ、自分は最期までアナログ作業を大切にしていきたい。
それは、ただ単に楽しいからだけですが。
その楽しさを保つためには、もっと違う能力をぐんと伸ばしていく必要があるんですが。
これからも試行錯誤あるのみです。


料理するための素材づくり


制作過程で偶然できる模様にハッとする。気づきのタネは探している人にしか見つからない。

直感を頼りに

知識や数値に勝るものは何か?
それは直感だと断言したい。
では、その磨き方は何か?という問いには、
時間を味方につけることだと。
これからは、勉強ができる必要なんてなくて、真剣に遊べば良いと思う。
ただし、誰かが創り上げたフィールドでなく、
自然の中で、全身鳥肌が立つかの如くセンサーを働かせて。

辺りを見回すと忙しい。己を見ていてもなんやかんや忙しい。
心亡くしてセカセカしているうちは、直感は鈍くなってしまう。
今、最も必要なのは、遊ぶ時間であるのだ。
史上最高の発見をしたことに、興奮しているのであるのだぁ。


朝日を全身で迎えるセニョール。

余命10年だとして

もし、あなたに残された時間が10年だとしたら、何をしますか?

あと10年の命をどう生きるか、ちょっと考えてみました。
来月で40歳なので、これからが働き盛り。(たぶん)
これまでの仕事と暮らしを見直し、ひとつ夢である「あそびの学校」を作ることにします。
どんな学校かはまだぼんやり。とにかく、将来良い大学や会社に行くためでもなければ、
お金持ちになれるためのものでもないことは確かです。
これといったお題を決めずに遊びを創造するような、
問いを見出すような、場が作れるのではないかと。
10年間おもいっきり続けられたら、夢も体系化しているのではないでしょうか。。。

さぁ、生き方を考え直す時が来たぞ。

もし、あなたに残された時間が1年だとしたら、何をしますか?

あと1年だとしたら。。。
会いたい人たちに会いに行く旅をする。
これまでの人もこれからの人も、
国内外問わずとにかく会いに行こう。家族道連れにして。
これも何かしらタネを運ぶことなのかもしれません。

さぁ、誰に会いにいくか計画だ。

もし、あなたに残された時間が24時間だとしたら、何をしますか?

明日いなくなるとしたら。。。
腕をふるって朝、昼、晩とご飯を作り、家族みんなと楽しく食べることにします。
できれば景色の良いところで。
あとは、できる限り楽しく話したい。

さぁ、今度の休みはそうしよう。

お金持ちになりたい、有名になりたい、偉くなりたいという欲望や、
今後起こりうる得体の知れない不安を拭い去るための努力を、
日々続けていないだろうか?
本当にやりたいことや大切なことが後回しになっていないだろうか?
死を目前とした時にだけ、本音を吐露するのはもったいない。
夢物語でも何でもいいので、できることからやってみようではないか。

余命の長さで、やる事が変わっていく(広がっていく)のも面白くないですか?
色んな人の余命話を聞いてみたいです。
こんなワークショップしたら誰か来るかな?企画しようかな?

当たり前に続くと思って入る日常なんて幻想に過ぎない。
もっと、デコボコとはみ出して生きていきたいなぁ。

空想のタネ

アオバトと屋号を変えたのには、訳があります。
一つは川上から川下まで、一貫したコミュニケーションデザインをしたく、
クリエイティブディレクションを前面に伝えていくために、それが機能する名前としたこと。
もう一つは、もっと働き方のチャンネルを増やすようにして、
自発的に何か気づきのタネを運んでいきたいと思ったことです。

どちらかと言えば、後者の方を積極的に取り組んで伸ばしていきたいのが事実。
本当であれば、前の家でいろんな取り組みをしたかったのですが。。。
具体的には、なりわい診療のような自主講座を開いたり、インタビューをしたり、
ある議題に対してワークショプをしたり、単純に若いクリエイターと交流したいと思ったり。
そんなことを、頭の中では色々と企画をしています。
他にも考えていることはあるんですが、実現ができそうになったら話そうかなぁと。

ということで、突発的にしたいものは、「失敗」を収集するワークショップです。
いろんな失敗談を持ち寄ってきてもらい、失敗を並べて解剖していく。
そうしたら、成功のタネが見つかるかもしれません。

なんか、面白そうじゃないですか?

お米2.0

生産者の方のお米や農作物の価格が安過ぎる。
これは買い手にとっては、非常にありがたいことですが、作り手にとって果たしてどうでしょうか。
よくデザイン講座では、「価格を後継者が継げる、または人が雇える価格設定を」と伝えています。
そうしないと、持続可能な農業はできません。
しかし、現実は「地元では高いと売れない」ということで、そのままの価格で売られていることがほとんど。

(ここでの作り手の方は、小規模農家さんや兼業農家さんことで、大規模経営をされている農家さんではありません。)

朝の散歩の途中、田んぼには除草ができていないところや、
先の大雨の爪痕が残ったままの畔が目立ちます。
また、「農業はお金のかかる道楽」とか、「負の遺産を子供に残したくない」とか
農業を継続していく上での厳しい本音を耳にします。
実際に、今の美しい農村風景を守ってくれている世代は、60代を超えたお父さんお母さんがほとんど。
追い討ちをかけるように、種子法の廃止やTPP参加によって、10年後の農村風景がどうなるのかと。
なかなか楽観視できない状況です。
かと言って、解決策で自分が農業を担うという簡単なことではないので、考える石になってしまう訳です。
(田舎暮らしで仕事をしながら農業を!と、夢見て失敗した身ですから。)

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ただ、ネガティブな声を多く聞く中にも、
まわりには、農業に向き合いより良くしていこうと、創意工夫される人達の存在があります。
過酷な状況になっていけば行くほど、輝きを放つだろうと思います。
自分ができることは、その輝きをアオバトの仕事として伝え繋げることと、
ご飯を食べることを思う存分楽しむことくらいです。
タイトルで『お米2.0』とか言ってるから、画期的な発想を期待されていたら、ホントごめんなさい。
ただただ、美味しいご飯を子どもや願わくば将来の孫と、食べていたいだけ。

美味しいご飯に貪欲になれば、生産者へ思いを向けるようになるし、料理にも力が入ります。
盛り付ける器でも美味しさは変わり、食卓は華やぎます。

小石の波紋くらいの日常の幸せが、どんな未来の農村風景になるのか。
そんなことを考えながら田舎道を散歩してます。

食卓が変われば、風景も変わる。