Idea

お米2.0

生産者の方のお米や農作物の価格が安過ぎる。
これは買い手にとっては、非常にありがたいことですが、作り手にとって果たしてどうでしょうか。
よくデザイン講座では、「価格を後継者が継げる、または人が雇える価格設定を」と伝えています。
そうしないと、持続可能な農業はできません。
しかし、現実は「地元では高いと売れない」ということで、そのままの価格で売られていることがほとんど。

(ここでの作り手の方は、小規模農家さんや兼業農家さんことで、大規模経営をされている農家さんではありません。)

朝の散歩の途中、田んぼには除草ができていないところや、
先の大雨の爪痕が残ったままの畔が目立ちます。
また、「農業はお金のかかる道楽」とか、「負の遺産を子供に残したくない」とか
農業を継続していく上での厳しい本音を耳にします。
実際に、今の美しい農村風景を守ってくれている世代は、60代を超えたお父さんお母さんがほとんど。
追い討ちをかけるように、種子法の廃止やTPP参加によって、10年後の農村風景がどうなるのかと。
なかなか楽観視できない状況です。
かと言って、解決策で自分が農業を担うという簡単なことではないので、考える石になってしまう訳です。
(田舎暮らしで仕事をしながら農業を!と、夢見て失敗した身ですから。)

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ただ、ネガティブな声を多く聞く中にも、
まわりには、農業に向き合いより良くしていこうと、創意工夫される人達の存在があります。
過酷な状況になっていけば行くほど、輝きを放つだろうと思います。
自分ができることは、その輝きをアオバトの仕事として伝え繋げることと、
ご飯を食べることを思う存分楽しむことくらいです。
タイトルで『お米2.0』とか言ってるから、画期的な発想を期待されていたら、ホントごめんなさい。
ただただ、美味しいご飯を子どもや願わくば将来の孫と、食べていたいだけ。

美味しいご飯に貪欲になれば、生産者へ思いを向けるようになるし、料理にも力が入ります。
盛り付ける器でも美味しさは変わり、食卓は華やぎます。

小石の波紋くらいの日常の幸せが、どんな未来の農村風景になるのか。
そんなことを考えながら田舎道を散歩してます。

食卓が変われば、風景も変わる。